新年に大切なお客さまを1人、お迎えしていたトロピカルです。

その方は現役の学校の先生。気になる生徒がいて話を聞きに来てくれてました。

その子の話をじっと聞いて、
大丈夫だよ、安心したよ、と声をかけてくれ、
でも、これから選ぶ道は決して楽ではないかもしれないから、
困った時に信頼できる、相談できる人を見つけておいてね。
と伝えていました。

その子が帰った後、先生と話をしました、いっぱい。

先生が育った地域の過酷な生活状況。
先生の生い立ち、挫折。先生になるまでのいきさつ、子どもたちから拒否された指導方法、謝罪と転換。出逢い等。

年末年始にかけてやっと読んだ『地元を生きる』は、沖縄をゆいまーるで繋がる支え合う優しい社会というイメージとは違う面があり、
そしてそれははっきりとした階層社会である、と伝えていた。

沖縄の階層社会を階層ごとに分けた書き方で、しかも沖縄でも底辺と位置付けされた社会の話は本当に過酷だった。
そしてそれは、まさに先生が生まれ育った厳しい生活環境そのままのような事実がノンフィクションで書かれていた。

自分の努力だけではどうにもならないことだって、世の中には沢山あって、それが子どもなら尚更で。
逃れられない状況や、その可能性を夢見れなくなるような悲惨な状況も存在している。
だからこそ、大人は可能性を信じている姿を子どもに見せていないといけないのだ、と先生と話をしていて強く思う。

私は小学生の時に半年入院をして、6年の4月から学校に戻ったが、現実逃避をしたいくらい、勉強も全く解らず体も太り、今ならいじめに合ってもおかしくない状況だったかな。

あの時、クラスの友達が、幼なじみが前と同じように私と接してくれていたから、
勉強が分からなくても助けてくれていたから、
私は学校に行き続けることが出来ていたし、修学旅行も運動会も、卒業式も

足が悪くても、みんなと同じように参加出来た。

友達がいなかったら、
学校に行けなくなっていたら、
私の人生はまた違っていただろうな。
とても苦しんだろうな、と思う。

学校が全てではない、無理して行かなくてもいい。
そんなのは分かる。でも友達と一緒に何かをやったり、遊んだり勉強したりすることは、本当に大事な権利だと思う。

だから、私は今でも学校に行きにくい、行けない子どものことがすごく気になってしまう。

私もそうだったかもしれないから。

学校の先生は本当に大事な職業。だから、大切にしたい。
先生がやりがいを持てる余裕がある仕事として、存在できる社会が
子どもや、ひいては大人にも大切だと思う。

新年に迎えたこの先生は、
『僕が受けもった生徒はどんな道を選んでも、幸せになると信じています。
僕がそのように愛情を注ぎましたら!』と言ってしまう。
私は4人の親になったのに、こんなに自信持って言えないかもしれない。でも、私も真似して、同じように言おう!と思った。

ちょっとくさいセリフかもしれないけど、先生は全力で子どもたちに向き合っている、どの学校に赴任しても。

私達はこの先生に出逢えて本当にしあわせだし、世の中まだまだ捨てたものじゃない!と希望が湧く。
こんな出逢いが、私達の人生に沢山あって、
私は心底しあわせだな、と思うのです。

新年に私はとても満たされていた。そして、私もまだまだやりたい。

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